思いがけずコン内官からの提案で実現した二度目の観劇
俺は皇太子である事を隠さず堂々と観劇するつもりだったが、コン内官の考えはやはり俺とは違っていた
イギサ達は正装用の地味なスーツを身につけ、俺にもそれに似た色の地味なスーツを用意された
女性でただ一人行動を共にするチェ尚宮でさえ、同じ様な色合いのスーツを着ている
これではなんだか怪しい集団のようだ
『人の噂になってはいけませんので、どうかご辛抱下さい。』
そう言われるまま仕方なく、少し色の入った眼鏡もかけた
間近でシン・チェギョンが見られると言うのに、色眼鏡で見なきゃならないなんて無粋だ
いや・・・俺の我儘でこんなに大勢の職員を付き合わせているのだ
ここは譲歩するところだろう
心の中で葛藤しながら東宮の職員に守られ席に着き、俺は緞帳が上がるのを心を躍らせながら待った
華やかなスポットライトの中心にシン・チェギョンがいる
やはり・・・彼?いや彼女は麗しい
その仕草のひとつひとつ・・・脚の運びまでも男に徹している
なのにその口元は口髭を蓄えていながらも、アンバランスな色香を漂わす
まさに一挙手一投足を見逃がさないとばかりに、俺はシン・チェギョンの舞台に夢中になっていたようだ
舞台が幕を下ろした時、俺の席にチェ尚宮が走り寄りそっと耳打ちをしてくる
『あの・・・殿下、差し出がましい様ですが私の幼馴染がこの劇団の上層部におります。
もし殿下がお望みでしたらあの≪シン・チェギョン≫嬢と逢える様手配いたしますがいかがなさいましょう。』
な・・・なにっ?あのシン・チェギョンと面と向かって逢えると言うのか?
い・・・いやそれは・・・願ってもないことだが、女性としてのシン・チェギョンと逢った時、俺は自分自身が
どの様な感情を持つのか少し心配なのだ
自分の中に芽生えた感情があの男装の麗人に対してのものなのか・・・
それともシン・チェギョンそのものに対してなのか・・・
知ってみたい様な知りたくない様な、複雑な心境で俺は暫く考え込んだ
だがシン・チェギョンと向き合ってみたいと言う願望は抑えられず、俺はその本音のままをチェ尚宮に返した
『そうだな。チェ尚宮・・・お願いしよう。』
『はい。かしこまりました。』
もしかして俺は仕える尚宮にこんな配慮をさせるほど、腑抜けた顔でシン・チェギョンを見つめていたのだろうか
少々その辺りが気に掛かったが、この際そんなことは構っていられない
チェ尚宮が折角作ってくれた機会だ
この機会を逃すまい
暫くして息を切らせて戻ってきたチェ尚宮は、俺に向かって柔らかな微笑みを向けた
『殿下・・・≪この劇場の向かいにあるホテルの喫茶室でお待ちいただけますか?≫とのことですので
すぐに参りましょう。』
『解った。』
イギサに護衛され少し俯き加減で待ち合わせのホテルに向かう間、俺は自分の口元が緩んで
仕方がない自分を感じ、必死に平常心を保とうと自分に言い聞かせた
あのシン・チェギョンが普通の女性として俺の前にやってくるのだ
あの男装を解いた時、シン・チェギョンはどんな女性に変身するのだろう・・・
そんなことを思えば興奮しない訳がない
個室となっている喫茶室のVIPルームに通された俺は、席に着き長い脚を優雅に組んで目の前に出された
ブルマンを口に運ぶ
その味や香りを楽しむ心の余裕はどこにもなく、落ち付かない気持ちはあっという間に
そのコーヒーカップの中を空にした
いやに喉が渇く・・・こんなに喉の渇きを覚えたのは初めてだ
一緒に出された水さえも飲み干した時、ドアの向こうから声が響いた
『失礼いたします。』
来た!シン・チェギョンだ!!!
あぁ?ちょっと待て!声が・・・舞台の時の声と一緒だ
扉が開き入って来た人物は、まさに舞台に立っていた男装の麗人そのものだった
いや・・・メイクだけは落としているように見えたが・・・
『シン・チェギョンです。はじめまして・・・皇太子殿下。』
まるで舞台上で女優に向ける様な微笑みで俺の目をしっかりと見つめたシン・チェギョン
しかしなぜプライベートなのに男の形(なり)のままやって来たんだ?
ご丁寧なことに口髭ばかりか顎髭までつけて・・・
これにはさすがの俺も面喰った
『どうぞ。掛けてくれ。』
『失礼いたします。』
まさかプライベートまでこの格好で過ごしているのではないだろうな?
チェギョンが優雅に席に着いたと同時に、二人分のブルマンが運ばれ店の者がその場を去った後
俺はどう会話を切りだしたら良いのか解らず悩んでしまった
だが幸いにもこういったファンの扱いには慣れているのか、チェギョンの方から話し掛けてくれた
『まさか皇太子殿下が当劇団にお越しになっているとは思いませんでした。』
『あぁ・・・友人に誘われ一度観に来たのだが、どうやら癖になってしまったらしい。』
『そうでしたか。ありがとうございます。御友人と一緒にいらしたのですか。あのっ差し障りがなければ
お名前をお聞かせいただけますか?』
『俺か?俺はイ・シンだ。』
『いえ・・・それは存じ上げております。御友人のお名前です。』
『あぁ?』
顔から火が出そうな思い・・・とはまさにこのことだろう
だが俺は必死にその≪舞いあがって勘違いをした羞恥≫の気持ちを顔に出さないよう、必死に取り繕い答えた
『チャン航空グループ副社長のチャン・ギョンだ。』
『えっ?ギョン君の?』
一瞬だがあの時控室で聞いた女性の声が彼女から発せられた
声色が使い分けられるなんて、俳優とは器用なものだな
『あ・・・大変失礼いたしました。そうでしたか。ギョン君と御友人関係なんですね?』
『あぁそうだ。ところで・・・今日はどうして男の形でここに来たんだ?』
『舞台を観て私に興味を持たれた方が、普段の私の姿を見たらイメージダウンになりかねません。
この姿の方が喜ばれるんです。
それにお相手が皇太子殿下だと聞いたらなおさら、男の形で来た方が良いのではないかと思いまして・・・。
舞台女優・・・いえ男優と噂になどなったら大変ですからね。くくくく・・・』
含み笑いまで舞台上の声と変わらない
俺はなんだか納得のいかない気分になって来る
彼女は微笑みながら目の前のコーヒーカップを持ち、それを口に運んだ
『ただ・・・本物の男ではないのでなかなか面倒なんです。こうやってコーヒーを飲んでいても
髭が濡れてしまいますし・・・』
『そうだろうな。』
間近で見た彼女の指は細く実にしなやかで・・・やはり男の物ではないと実感した
俺は思いついた限りの質問を彼女にぶつけてみることにした
『失礼なことを聞くようだが、その肩幅はどう作っているんだ?』
『あ~これは肩パット5枚重ねです。あ・・・次にお知りになりたいのはきっと胸でしょう?
これはですね。強力サポーターで締めつけて、更には全体に厚みを持たせるよう何重にも巻いているんです。
厚い胸板は男の勲章ですから・・・』
『そうやって作っているのか。大変ではないか?』
『いいえ。これが天職だと思っておりますから・・・』
天職か・・・俺は皇太子の立場を天職だなんて思った事は一度もない
男の形をして目を輝かせるシン・チェギョンを前にし、俺は少し自身が恥ずかしく思えてくる
こんな風に胸を張って自分の職業を天職だと言えるだろうか
そうではない・・・渋々・・・仕方なくだ
『シン・チェギョン・・・次に逢う時には女性の姿で来て貰えるか?』
思いきって俺は言ってみる
『いいえ。次はありません。こうして舞台女優と逢っているなんてスキャンダルにでもなったら
皇太子殿下の名に傷が付くでしょう。
それに私も自分自身のイメージダウンになります。これでも人気商売なんです。
ですのでこのようなお呼び出しは二度となさらないでください。
では皇太子殿下・・・私は次の舞台の準備がありますので、これで失礼いたします。』
シン・チェギョンは優雅に立ち上がると軽く頭を下げ去っていった
初めて胸をときめかせた男装の麗人に、呆気ないほど簡単に拒絶されてしまい
俺は暫く椅子から立ち上がることさえできなかった
完膚なき敗北
そうだな。俺自身が皇太子の身分を天職と言えない様に、シン・チェギョンにとっては皇太子の身分など
何の魅力も感じないのだろう
王族の娘などとは全く違う
俺を権力と栄華の象徴のように媚び諂う王族の娘などより、よほど純粋で高貴な人種だ
ここまで完璧に拒絶されたと言うのに、俺の中に芽生えた遅咲きの恋心は枯れるどころか
さらに大きく膨らむ一方だった
(画像はご近所の薔薇屋敷の薔薇)
本日はD様がお休みでね~
早めに更新です❤
本日はD様がお休みでね~
早めに更新です❤